新聞の史観(8)
2006-09-05


帝国主義時代の列強は、弱肉強食の原理に徹して、奪われる側の立場にお構いなく、力にまかせて国際的な秩序を固めていった。
 第1次大戦後の国際秩序の再構築を協議した「ヴェルサイユ講和会議」は、主唱者ウィルソン米大統領(Woodrow Wilson 1856〜1924)が示した、華麗な理想の「14カ条」を基本原則に運ばれることが期待された。これらの原則には、秘密外交の排除・海洋の自由・軍備の縮小・関税など経済障壁の撤廃・民族自決・国際平和機構の確立など、新しい秩序への意慾が盛られていた。
 会議で成立した「ヴェルサイユ条約」と付帯的な諸条約によって、フィンランド、ポーランド、バルト3国、ユーゴスラヴィア、アゼルバイジャン、イラクなど13の独立国が誕生したのは基本原則に沿った成果だ。しかし、これらの諸国が、なお英仏など強国の強い影響下に置かれたことも事実だった。
 その一方で、敗戦国ドイツは南西アフリカ、カメルーン、タンガニーカなどアフリカの領土をはじめ海外領土の全てを失ったほか、普仏戦争でフランスから割譲された係争地アルザス・ロレーヌをはじめ、各地で国境周辺の国土を削ぎ取られた。
 太平洋のドイツ領諸島は、赤道以南を豪州の、以北を日本の委任統治に移され、中国の山東省と青島の利権は、前述の「対支21カ条要求」を公認する形で日本へ移譲された。会議に参加した中華民国は、このため条約への署名を拒否、本国では反帝・排日の「5.4運動」が起きた。
  ドイツは5万6980平方kmの領土と、647万人の住民を失った。その上、徴兵制の廃止を約束させられ、自衛のための軍隊も、陸軍10万人、海軍1万5000人、1万トン以下の戦艦1隻を筆頭に海軍艦艇36隻・総トン数10万トンの制限を課された。英仏米などの連合国を手こずらせた潜水艦と航空機の保有は禁じられた。加えて、最終的に1320億金マルクという苛酷な賠償金を負わされ、経済は破綻した。
 世界は、まさに"食うか、食われるか"の生存競争に支配されていた。(;)

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